駸々堂事件

駸々堂事件 事件の経緯

従業員(アルバイト)が会社と期間の定めのない雇用契約を締結して、勤務していました。その後、会社が他社と合併して新会社を設立することになり、従業員は店長(会社)から、次の事項が記載された書面を受け取りました。

新しい雇用契約書が同封されていて、そこには、雇用契約の期間を6ヶ月として、(勤務時間の減少と時間給の減額により)賃金が半減して、年2回あった賞与がなくなり、健康保険もなくなる等、労働条件を大幅に引き下げる内容が記載されていました。

それにもかかわらず、従業員は新しい雇用契約書に署名をして、会社に提出しました。

雇用契約を1回更新した後、従業員は心不全のため約4ヶ月間欠勤をしました。会社は契約期間の満了を理由にして、雇用契約を終了しました。

これに対して従業員が、新しい雇用契約は錯誤により無効であると主張して、従業員の地位が存在することの確認及び賃金の支払いを求めて、会社を提訴しました。

駸々堂事件 判決の概要

原審の判断は正当として是認することができる。

大阪高裁(原審)

会社から従業員に交付した書面は、新会社への移行を前提として、それ以外の雇用契約は存在する余地がないような内容であった。そのため、従業員は、新しい雇用契約に応じなければ、会社との雇用関係を維持できず、退職せざるを得ないと考えて、雇用契約書に署名をしたと認められる。

新しい労働条件が従業員にとって極めて不利な内容で、慰労金が支払われたとしても補填できるものではないから、錯誤がなければ応じなかったと考えられる。新しい雇用契約の締結において、労働条件自体に従業員の錯誤はないが、その動機に錯誤があり、会社もこれを知っていた。

そもそも、会社は、労働条件の改定については、各個人から同意を得る方針であったと主張し、労働組合に対して、店長会議の場で、店長から説明をすると約束していたにもかかわらず、実際には、会社から店長に何の指示もしておらず、従業員に労働条件の改定が必要な理由について説明をしていない。

以前の労働条件で勤務を継続する余地があることを前提として、従業員と新しい雇用契約を締結するために説得する意思が会社にあったのであれば、店長会議の場で、どのように説得するのか、どのような資料で経営状況を説明するのか等について、討議をするのが当然である。

しかし、このような討議をしないで、従業員に署名・押印を求めていることから、会社は従業員の錯誤を利用して、新しい雇用契約の締結を図ったものと言える。

以上のとおりであるから、従業員による新しい雇用契約の締結の意思表示は、錯誤により無効である。

次に、従業員は病気により約4ヶ月間欠勤をしたが、その間も必要に応じて会社に診断書を提出して、職場復帰が可能な程度まで健康状態が回復していた。

従業員が担当していた仕事の内容は正社員と差異がなかったこと等を考慮すると、本件の解雇は合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認できないことは明らかで、解雇権の濫用に当たる。

したがって、以前の雇用契約はそのまま有効で、死亡によって雇用契約の関係が消滅するまで、効力が継続したことになる。

賃金について、会社は、従業員が現実に就労した時間数に応じて算定するべきであると主張するが、労働時間が減少したのは、会社が新しい雇用契約に基づいた就労を求めて、以前の雇用契約に基づいた就労を認めなかったことが原因である。

会社の責めに帰すべき事由によって労働時間が減少したので、労働時間の減少分について、従業員は賃金の請求権を失わない。したがって、以前の雇用契約が継続したものとして、同額の賃金が支給されるべきである。

駸々堂事件 解説

会社から従業員に労働条件の変更を働き掛けて、従業員がそれに応じる形で、雇用契約書に署名をして、会社に提出しました。その後、会社が契約期間の満了を理由にして雇止めをしたところ、従業員が雇止め(解雇)と労働条件の変更の無効を主張して、裁判になったケースです。

事件があった当時は労働契約法が制定される前ですが、考え方は同じです。つまり、労働契約法の第8条に規定されているとおり、労働条件を変更する場合は、当事者間で合意をする必要があります。会社が一方的に、労働条件を不利益に変更することは許されません。

その場合に、口頭による合意では、後で「言った」「言わない」のトラブルが生じやすいので、雇用契約書や労働条件通知書などの書面で労働条件を明らかにして、合意した記録・証拠を残しておくべきです。

この会社でも、従業員が雇用契約書に署名をして会社に提出していたのですが、後になって、思い違いで署名をしてしまったと主張して、労働条件の変更の取消しを求めました。

民法によって、意思表示に錯誤があったときは、無効になることが定められています。要するに、思い違い(勘違い)で雇用契約書に署名をしたと認められると、その署名が無効になります。

この事件では、契約期間が無期雇用から有期雇用になって、賃金が(月額で約20万円から約10万円に)半減して、年2回あった賞与がなくなり、健康保険もなくなるという大きな不利益が及ぶものでした。従業員には慰労金が支払われることになっていましたが、1年分の賞与程度の額(約60万円)で、不利益に見合うものではありません。

裁判所は、「退職する」か、「労働条件の不利益変更に応じる」か、従業員は2つの選択肢しかない、3つめの「従来のまま労働条件を変更しないで勤務を継続する」という選択はないと思い込んで、不利益変更に応じたものと認めました。

また、会社も従業員の思い違い(錯誤)を利用して、署名を引き出したものとして、労働条件の変更は無効であると判断しました。

したがって、雇用契約は従来のまま無期雇用で、雇止め(解雇)は無効という結論になりました。雇止め(解雇)をした以降も、従業員は勤務していたものとみなして、会社は満額の賃金をさかのぼって支払わないといけません。

会社から従業員に労働条件の不利益変更を働き掛けて、従業員が雇用契約書に署名をして、同意の意思表示をしたとしても、従業員に錯誤(思い違い)があったときは無効になりますので、注意が必要です。

このケースで言うと、「従来のまま労働条件を変更しないで勤務を継続する」という選択もあることを説明した上で、不利益変更が必要な理由や会社の状況等について、丁寧に説明をして、従業員から同意を得る必要がありました。

また、民法では、錯誤(思い違い)の他にも、詐欺や強迫の場合も同様に無効になることが定められています。